コンセプト1
「シェアー共有ー」の考え方
太平洋ゴミベルト、
その面積は地球上の海面の四割にもなる。
-----「物欲」の海に浸っていらない物の山に押しつぶされてくたばれ!
年の初めに自宅の引越しを余儀なくされ、どれだけいらないものを溜め込んでいたか、使わないにもかかわらず捨てられない所有欲という魔術から抜けだせない20世紀型消費の餌食となっている自分に悪態をつかずにいられない2011年の幕開け。「太平洋ゴミベルトは、悲しいかな唯一ではないが、おそらく最大のものだ。こうしたゴミの漂流物を全部合わせると、その面積は地球上の海面の四割にもなる。」と知って愕然とした。
大量生産、大量消費するこれまでの経済成長は、限界だと実感した。
古い資本主義社会の崩壊、モノを所有することは豊かさの基準ではなく、ステータスとして家や車を所有するという感覚も何か違う、古い感じがする。
お金──そしてお金で買えるものを手あたり次第溜め込むこと──イコール幸福だという考えが、ハイパー消費の原因だということ。
しかし、新しい価値観は既に始まっていた。
アメリカを中心に、モノ・サービスの「機能」を提供する新しい「共有」から生まれるビジネスモデルの潮流があることを知り、興味を持った。詳しくは「シェア 〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略」レイチェル・ボッツマン&ルー・ロジャース著を一読いただくことをおすすめしたい。
- 「自分が大きな何かの一部のような気持ちになるし、所属意識をもてる。参加していることに誇りと情熱を感じるんだ」この大きなうねりは、
- 「コラボ消費」と名づけられた。
メガブランドのナイキでさえ、製品広告(10年前より50%削減)を打つことからコラボ的なコミュニティを築くことに、ブランドの軸足を移しつつある。
アリストテレスの、「概して、持つことより使うことに、はるかに大きな豊かさがある」という考え方を実践する動きともなるだろう。
おなじ価値観、興味を持つ者どうしが集まり時間や空間、技術やお金といった、目に見えにくい資産を共有するコラボ的ライフスタイルが急速にひろがっているというのだ。
コマーシャリズムが過剰な消費を煽る、パイパー消費がもたらしたものを根本的に考え直し、人としての本来の幸せを考えさせられる哲学でもある。
シェアリング・エコノミー(共有型経済)の潮流である。
人々の意識は「ハイパー消費」から「コラボ消費」へと地軸を移行しており、
今がまさにその過渡期だ。
キーワードはIT(インターネット)を介在して構築されたSNSで行われる「シェア-共有-」「コラボ消費」である。
著者は「コラボ消費」とは昔ながらの共有、物々交換、貸し出し、売買、借り入れ、贈与、スワップが以前ではありえなかった規模や方法で登場し急速に拡大しているものだと言うことができます---と講演で語っている。
「コラボ的ライフスタイル」
おなじ価値観、興味を持つ者どうしが集まり時間や空間、技術やお金といった、目に見えにくい資産を共有する。
その事例を知るにつけ、一人ひとりが、「自己利益」対「みんなの利益」という対立の構図、永遠に満たされない所有欲や浪費欲から脱け出して、みんなにとっていいことを再発見する方向へ地殻変動を起こしはじめているのを感じる。
過剰消費の二〇世紀には、信用履歴や広告、所有物によってその人が定義されたのに対し、コラボ消費の二一世紀には、評判や、属するコミュニティ、何にアクセスできるか、どうシェアするか、また何を手放すかが、人を定義するようになる。
必要性の再確認、
環境に対する懸念の増大、
コスト意識の高まり。
資源をシェアし、オープンにすることで、個人の利益とコミュニティ全体の利益のバランスを保ちながら、どうやったら価値を創造できるかを、もう一度学び直している。
金融やお金そのものへの考え方をくつがえす、変化の波──お金が他のものに代わることはなくても、お金を使わずに欲しいものを手に入れる手段はますます増えていくだろう。
コラボ消費は、節約よりもはるかに深い動機から生まれたもので、その習慣は二〇〇八年の金融恐慌以前から定着し、拡大を始めていた。経済危機は、人々がもともと必要としていたものや、それを手に入れる新しい手法を、後押ししただけだ。
今、私たちは「自分にどんな得があるか」を追い求めることから「みんなにとってどんな得になるか」を考えようとするその大きな転換点にいる。
いまどきの助け合いの仕組みは、「私があなたを助ければ、だれかが私を助けてくれる」というものだ。
コミュニティのために役立つことをすれば、それによって自分の社会的な価値が高まることを、私たちはデジタルな経験をとおして学びつつある。
私たちはモノ(それ自体)よりも、それによって満たされるニーズや経験を求めている。
コラボ消費の経験は、「消費すること」もさることながら「コラボレーションすること」が楽しいのだ。
シェアは「やわらかいパンク」だ。ユリイカ/小林弘人
二〇〇六年のUSAトゥデイ紙のアンケートでは、一三歳から二五歳の若者の六一パーセントは、世界を変える責任が自分にあると答えた。
「10年後には、もっとも高い評判や信頼のネットワークを持つ人たちが、金持ちや権力者に代わって、力や影響力をもつことになるだろう」 クレイグズリストの創業者、クレイグ・ニューマークは最近こうコメントした。
フレッド・ターナーは、こうした人たちは「個人が自己利益のために行動しながらも、同時に、それによってみんなが『ひとつになれる』ような、統一された社会が生まれることを望んでいるのだ」と言っている。
シェアは貨幣や賃金労働や商品の意味を根本的に変えるかもしれない。
シェアを閉塞感やまないアートシーンに取り込んでみたら、、、、
ART LOVE HUB展
コンセプト2
「シェアー共有ー」をアートシーンへ
2011年東京の現在、ギャラリーの存在意義を考えてみたら、やはり世界的規模で起きている「シェア」の波は無視できない。
「お裾分けが100万人に出来る時代」
「クリエイションが職業である時代は終わる」
「余計なモノ売るのが恥ずかしい時代に、それを手伝うのはもっと恥ずかしい」by 高城剛 『デジタル日本人』(講談社)2006年
当初は過激な発言にも聞こえたが、資本主義の崩壊が叫ばれる中、広告もTVもCMも雑誌もヤバい現在、かなり現実味を帯びて来ている。
発言が2006年というのもすごい。
数年前から、作品を売るとか、コマーシャルに使われたいとかの市場原理に振り回される価値観が、なにか20世紀型の古くさい過去のものに感じてしまっていたこともあり、まさになのである。
原点に立ち戻って考えてみた。なぜ人は創作活動をするのか?
茂木 健一郎さんの言葉を引用するなら「創造性は、決して予定調和の中に収まらない両刃の剣である。私達は、どうせカオスの中でしか生きられない。
だとすれば、創造性を発揮するという形で、制御不能でカオティックな生をおおいに楽しもうではないか(後略)」「創造しつづける事が、この有限の生をまっとうする唯一の方法であることを私は知っている」脳と創造性 「この私」というクオリアへ/茂木 健一郎。
素晴らしい創作物に出会った時の感動が忘れられず、感動を求めて探し続け、出会ったなら味わい尽くしたい、またそんな創造物を作りたいと願い
創作する生き方は、面白いということ。
創造それは創造力のある人類にしか出来ない能力だから。
生きる事の実感に近づけるから、それは未来を作る能力でもある。
今は、だれもが様々なクリエイトを出来る時代だ。
しかも「お裾分け(シェア)が100万人に出来る」し!
10年も待たずに作品とその権利は、クリエイティブ・コモンズを経てフリーへ向かうだろう。20世紀型の価値観を手放す事を恐れずに、所有やお金の欲望から自由になる!いいチャンスが来ている。
いつの時代でも、優れたクリエイターは新しい価値観や生き方を示して来た。
素晴らしいアイデアや創造が、小さな意識の変化をもたらして、
やがて世界を変えて来た。
アートもシェアする新しい時代へシフトする。
ものすごく期待してしまう。
それでは、アートをシェアするとは?なにか・・・
キーワードは「所有から共有」にある。
20世紀型アートを所有するとは、「例えばウォーホルの版画をオークションで落札して自宅のリビングに飾り、パーティを開いて友人に自慢しつつ公開する」ことのようなもの。
一方、共有は、投資目的で購入したり、特権意識やステータスを満足させるアイテムとしての所有から離れて、鑑賞者として、ありのまま作品のアウラを受け止め味わい、作家や多くの人々と感動を共有することであり、アートとの本来的な関わり方、豊かさに注目することだと思う。
そこでギャラリーを共有の「場」とした「コラボ消費」型のコミュ二ティの形、
『作家と作品、鑑賞する人々、時間、空間やお金(収益)』もツールとして
「シェア」するアイデアを考えてみた。
それが「ART LOVE HUB展」である。
「ART LOVE HUB-30詳細」はこちら
「ART LOVE HUB-30エントリー」はこちら

30detail